邂逅
 或る日本人と台湾なる中国人画家、葉醉白
 
 

二人のめぐり合いは、日本と中国、中国と台湾、
台湾と日本の歴史を遡り,いま唯一絶対の天馬
美術舘として二十一世紀へ連なる

或る日本人とは藤野一茂。この12年、水墨で天馬を描く中国人画家、葉醉白の作品を蒐集。自ら天馬美術舘を創設して舘長を任ずる人である。名もなく肩書きもない一介の民間人に過ぎない藤野と。「亜細亜の至宝」とも称された台湾の国家的画家はいかにして出会いいかにして今日に至ったのであろうか。このビデオ映像は、二人を結んだ1987年、「天馬長城」との出会いから、二人を分かつ1999年の葉醉白の死、そして天馬美術舘の完成までを追って製作された。そこに投影されたものは、常識では超えようのない現実と、常識そのものが相反する民族の隔たりを乗り越えた一人の日本人の、信念と誇りである。


製作・総指揮 / 藤野 一茂
     著作 / 天馬美術舘
     語 り / 久米 明
 
永遠
 藤野保温工業株式会社創業三十周年記念制作
 
 

太平洋戦争末期。サイパン、ガダルカナルなど日本軍の玉砕が相次ぎ、制海権、制空権はすでに連合国に奪われていた。こうした中で日本は、なおも南方への兵員、物資の輸送を強行する。その重要な補給ルートとなったのが、台湾の南に接するバシー海峡であった。
しかしすでに護衛する艦船すらなく、日本兵を乗せた船は待ちかまえるアメリカの潜水艦や爆撃機の餌食となり、多くの将兵は戦場に至る事なく海の藻屑と消えたのである。
屍は海流の激しいバシー海峡に漂い、台湾の南湾一帯に漂着した。野ざらしの日本兵遺体を不憫に思った現地の人々は、これを荼毘に付して埋葬したといわれている。
この出来事を知った藤野一茂は、一九九六年、七年越しの念願だった慰霊碑を現地に建立することを実現。その経緯を記録すべく、ビデオ制作を決意。折良く、自らの会社創業三十周年に、という運びとなったものである。
このビデオは、終戦当時、日本兵の遺体にかかわった屏東県の人々へのインタビューを中心に構成されている。
ご承知のごとく、台湾は日本の統治下にあり、皇民化政策のもとで人々は日本語を強制的に習得させられていた。取材を通して、今ではたどたどしいそうした日本語を聞くたび、日本が為してきたこと、残してきたものを考えざるを得なかった。
藤野一茂は戦争を知らない世代である。同時にまた、辛くも戦争に生き残った親から授かった命、として生きている一人でもある。したがって、過去の戦争に無関心でいることはできないし、知ることに責任がある、と考えている。
彼にとって台湾は、人生の師と仰ぐ葉醉白画伯をはじめ、友人知己の多く住む国である。そして、日本が過去に為してきたことを自らの目で確かめるための場でもあるのだろう。
台湾ロケのさなか、台北市に滞在中、繁華街の区画整理で突如出現した旧日本人墓地を撮影することができた。
五十二年前に終わった戦争は日本の国外に未だ爪痕を残しており、藤野一茂と台湾のかかわりも、ここ当分は終わりそうにない。